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電子書籍名言・引用まとめ

「わかった」と「ひとり赤面」を繰り返す。その反復を通じて修業者はしだいに武道修業の要諦について自得してゆきます。  それは、自分がわかったつもりでいることはだいたい間違っているということです。

天狗芸術論・猫の妙術 全訳注 (講談社学術文庫)

佚斎樗山

Quotes List

久しく座右にあった伝書を取り上げて読んでみたときに、一〇年前と同じような読み方しかできないということは、どんな凡庸な武道家にもありえません。必ず「自分は何と浅い読み方しかしていなかったのだろう」とひとり赤面することになります。必ず、なります。それが伝書の効用です。「わかった」と「ひとり赤面」を繰り返す。その反復を通じて修業者はしだいに武道修業の要諦について自得してゆきます。  それは、自分がわかったつもりでいることはだいたい間違っているということです。  これが武道修業者が繰り返し、骨身にしみて会得しなければならない修業上の大原則です。

道理は見ることができないし、聞くこともできない。見ることができ、聞くことができるのは、道理の痕跡である。その痕跡によって見ることも聞くこともできない道理を悟るのである。これを自得という。学問は自得するのでなければ役に立たない。

技は原理によって生ずる。形のないものは形のあるものの主である。だから気によって技を修練し、心によって気を修練するのが物の順序ではある。しかしながら、技に習熟して気がおさまり、精神が安定することがある。

「そもそも、あなたが修行したことは動作だけなので、あなたは未だ、狙う心があることから逃れられていないのです。昔の人が動作を教えたのは、その筋道を理解させるためなのです。それ故、その動作は簡単で、しかもその中に至極もっともな道理を含んでいました。ところが、後世の者はもっぱら動作だけに専念して、ああすればこうすると、いろいろな技を作り上げ、技巧の極限を追求して昔の方の教えを不足とし、才覚をはたらかせて、ついには動作比べなどというようなものになり、技巧が限度に達するとどうにもならなくなる。小ざかしい者が技巧を極めてもっぱら才覚に頼っているような場合は、皆こんなことになります。知恵は心のはたらきではあっても、道理を基本とせず、ただ技巧のみに専心している場合は、それが偽りの端緒となり、先に述べたような才覚がかえって害になることが多いものです。以上を反省の材料として、工夫を重ねてください。」

そも汝の修むる処は、所作のみ故に、いまだ、ねらふ心あることをまぬがれず。古人の所作を教ゆるは、其道筋をしらしめんためなり。故に其所作、簡易にして、其中に至理(1)を含めり。後世所作を専らとして、兎すれば角すると、色々の事をこしらへ、巧を極め古人を不足とし、才覚を用ひ、はては所作くらべといふものになり、巧尽きていかむともすることなし。小人の巧を極め、才覚を専らとする者、みなかくの如し。才(2)は心の用なりといへども、道にもとづかず、只巧を専らとする時は、偽の端となり、向の才覚却つて害に成る事おほし。是を以てかへりみ、よくよく工夫すべし。

ただ書物を読み、他人の言う事を聞くだけで、自分自身で試してみなければ、物の道理もただの噂話のようなものになって、自分自身の役には立たない。これを噂学問というのである。学術、武芸心術に関する一切の事は、その理論を聞いて、そのすべてを自分自身で試してみて納得した場合にかぎり、それらの事の邪正、難易度が確実にわかるものである。これを修行という。

もし、あなたがかなりの年数にわたって武道を稽古してきたにもかかわらず、この二つの武芸伝書の話を、師匠からもまわりの道友の口からも「一度も聞いたことがない」としたら、あなたが稽古しているのは武道ではなく、なにか別のものです。

「わかった」と「ひとり赤面」を繰り返す。その反復を通じて修業者はしだいに武道修業の要諦について自得してゆきます。 それは、自分がわかったつもりでいることはだいたい間違っているということです。

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